昭和五十六年六月二日 朝の御理解
御理解第七十九節 「商売をするなら買場、売場と言うて元を仕込む所と売り先とを大事にせよ。人が口銭を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損なようでも安う売れば数が売れるから、矢張り其の方が得じゃ。身体はちびるものではないから働くがよい。」
商売は合楽理念を以てする他はない。健康管理もしかり、百姓もしかり、まあ一切の上にそれぞれの事柄の上にも、生業の上にも合楽理念をもってする他はない。例えば今日の御教えを頂きますとね、本当にこれは十日も前だったでしょうか。やっぱりこん所を頂きましてね。絶対繁昌の道、商売によって絶対繁昌する手立ては、この教祖の御教えを本気で実験実証していく事だとね。売場買場を大切にせよ。よそが十銭の物なら八銭で売れ、体はちびるもんではないから、一生懸命働けと、これが商売繁盛の根本原理です。けれどもそれは、どこまでも繁盛であります、ね。例えば健康管理は合楽理念をもってする他はない。昨日はもう本当に無い命、もう医者がたまがるようなおかげを受けたというお届けが、昨日は朝から大変賑わいましたから、四千名近くの三千八百なんぼのお届けがあっております。その中に医者がたまがるというようなそのおかげを受けておる人のお届けが次々ありましたが、福岡の松岡さんの御親戚の方がやっぱそうでした。もう助からん筈のが助かった。もうとても手術をせんならんけども手術をされる病気じゃ無いから、あの状態じゃないから延ばしてあった。その中に又他の病気が併発した。もう死ぬか生きるか、どうでもやはり、手術をせにゃならんというので手術をしたら、もう一ばん手術をするのに都合のよい状態になっておったのをこれには医者もたまがってしまって、あんたは本当に命拾いちゃあんたのことよと、言われるようなおかげを頂いた、ね。そういう例えばならおかげをですよ、なら合楽理念に基づいて教えを頂いてその事を実行しておかげを受けた。それはなら病気が助かったというだけ。なら先達申しますように商売が繁昌する、もう為には、どうしてもこれは絶対商売繁昌するんです。よそよりも安く売ってね。そして売場買場を大切にする。しかも体はちびるもんじゃないから一生懸命働く。これだけが足ろうたら、もう絶対商売は上手の下手じゃないです。必ず繁昌するです。
ところが、なら今も病気もそうです。合楽理念をもってしたら絶対助かる。おかげになる。というても健康になった、商売が繁昌しただけではいけませんよね。そこを通してね、私は商売なら商売で合楽理念をもって商売をする、おかげを頂く。繁昌のおかげを頂くとね。だから、その商売なら商売、健康なら健康を通してお徳を頂くという、通してお徳を受けるという手立てを考えなければなりません。商売繁昌するだけじゃない、繁昌と共にお徳を受ける。そしてそれが子にも孫にもやっぱり繁昌が続いていっていけれるようなおかげを頂く事の為にね、日参、教聴、心行、家業の行、ここがやっぱり合楽の信心の根底になるんです。
昨日、四千名近くのお届けがあっておるというのは、もう殆ど一日は遠隔地のお参りが多いですからね。その遠隔地の方達は、なかなかもって日参などという事は出けません。そこで、日参のつもり日参さして頂いとると、お電話をかけてお願いをする度に、お初穂を奉る。一人でだからまあ云うならば、一月分のお初穂のお供えがあっておるから、そんなに沢山のお届けになってくるわけですね。四千名もお参りがあったという訳じゃありません。私は日参というのは、そういうふうに頂くべきだと、日参的という事になるかもしれませんけれども、神様はそれを日参として受けて下さるという事なんです。お参りが出来なかったならば、お初穂だけでもというこの気持ちなんです、ね。そしてなら、毎日お話しを頂いたり、どこにもテープで頂いとるというわけにはいきませんから、もし出来ればテープカセットを用意して日々の御理解をここで皆、発送しておりますからね。お願いがあっておる所には、例えば、伊万里あたりでは毎日朝の御祈念を、朝のご祈念にお参りをする。毎日三十名からお参りがあるそうです、伊万里支部は。それで朝の御理解を頂いて、それを又研修して皆さんが帰る。おかげを受けるです。昨日、あちらは新田原ですかね。堀内さん達も昨日は、昼全部お参りしましたが、朝、あちらで堀内さん所を中心にして朝参りをさして頂いて、いわゆる朝参りをしとるつもりで支部長さんの家に集まって御理解を頂いとるという事です。あちらでは、教典感話を毎日読ませて頂いて信心の研修をするそうです。それが教聴なんです。わざわざ合楽まで来なければお話しが頂けんという事じゃない。それこそ、おかげの泉の一頁でもよい、二頁でもよい読ませて頂いて、そこに自分の心に感じるもの、それをその日、一日の云うなら芯にして商売なら商売、家業なら家業の上に表していこうとする精進。心行は勿論どこででも出来るね。心行はもういよいよ本気でその事に取り組ませて頂く。いわゆる心の行。云うならば合楽ではどうでも、日参、教聴、心行、家業の行、これが云うならば、芯になってね。そして、云うなら商売をするならば、こういう生き方ね。健康管理は合楽理念をもってというても、それはどこまでも合楽理念をもってすれば、医者が見放した病人でも助かるでしょう。
商売が不景気。不景気でよそは困っておるというのに、いつもよりおかげを頂いたというのが、今度福岡の梅屋の場合がそうでした。今、京都へ仕入れに行っとります。確かにその合楽理念をもって商売をする。やはり今度今、むつやの石井信司郎さんも、やっぱ京都へ仕入れに昨日から京都へ行っとります、ね。ところが、あそこは何とかいうね、あの商店街は、サンロードという商店街が全部あるが、そのむつやの商売の仕方というものが、やっぱ皆の目についてきたんです。だから、あの信司郎さんのお話しを聴こうという事になって、もう月に一回か二回か集まって信司郎さんの商売の在り方。だから合楽理念を以て、兎に角サンロードという商店街全部が他よりも安い、ね。云うならよそが十銭で売るものは八銭で売るという生き方を、全部のあのお店の人達に徹底しようと、そしていわゆる、売場買場を大切にせろと云ったような事は、なかあか難しいですけれども、やっぱそれを話して、今度月に一回づつでも私はとても出来ませんから、先生方にも来て皆にお話しをして頂きたいというような話がまとまっていきよる。こりゃもう、云うならむつやが繁昌のおかげを頂いておる、その商売の在り方が他と違う、いわゆる合楽理念に基づいての商売をしておるという事です、ね。お互いがまあやはり、おかげを受けなきゃなりません。けども合楽理念を以てするならば、なら健康管理は、云うならお商売は、百姓はと。いうて、その合楽理念を以てするからよい事ばっかりじゃないです。いつも久富繁雄さんがあの発表されますように、兎に角昨日誰だったですかね、繁雄さんのようなおかげを頂いておるという人のお届けがあった。あんまり沢山だから忘れましたけど、そのどなたでしたか。そのお百姓さんで、そのお野菜とものが言えるという人、こういう人は天地とものをいいやっておる人だという話を昨日、お参りした方から聞きましたが、繁雄さんの場合なんかそうだと思いますね。例えば、何か植えられる。そこにおしめりが必要な時には、必ずおしめりがあるといったような天地とのまあ交流が出来ておられるわけです。それだから、そんならいつもあすこで出来た野菜がいつも最高の値段で売れるという事ばっかりじゃないのです。この頃、白菜が沢山作ってあるそうですが、大変おかげを頂いて今一反ぶで三十五万もするそうですね。それがその人数、長男の国男さんが来てからお届けをしとりましたが、同じあの買に来る問屋さんち言うでしょうか仲買さんが来て、たった一両日の違いなのにその自分の所を一反から五万位安う自分とこのを買うたとこう言う。よそのいわゆる信心のない所のが、五万高かったとこいう訳です。だから、あげな奴にゃ売らんち言うちから夫婦であのあちらの息子の嫁が腹かいとるという話を聞かせて頂いたが、繁雄さんがその事を聞かれて、ね、神様の御都合じゃからね、お礼を申し上げるより他にないぞというふうに言うておられた。その事をたしか壮年会かなんかに発表しとられました。私は神様の御都合だという事が、本当に心から言える信心になったらお徳を受けると思いますよね。ならどげな御都合ですかといったようなものじゃなくて、神様の御都合に違いはない。お願いをしてお取り次ぎを頂いておって、よそよりも五万なら五百安かった。こりゃ神様の御都合に違いないと言うてお礼を申さして頂きゃそれでいいという訳である。二、三日前、又急に一反十万円ちゅうごつ安くなっていったそうです。ほら自分より少し早くまあ蒔かれておったけれど、あのう自分の方が早く蒔いとったけれども、手入れが届かちゃったもんだから遅くなった。よそに出来ておった方のが売られた時には十万円じゃったち。それから数日後に又買いに来た時には三十五万円じゃった。二反作ってあったそうですから、言うなら七十万円で商いが出来たとこう言う。だから商売をしとるから合楽理念をもってするから、そのどこよりもいつも高いとか都合がよいという事ばっかりじゃない。昨日お月次祭の一ばん最後に私が申しましたように節が必ずあるんです。節がなからねば信心は進まんですね。例えば、信心のない所よりも安かった、どうしてじゃろうと言わずに神様の御都合ぞと言えれる信心、ね。それは反対にならなければならない様な結果にならねばならんのに、御都合お繰り合わせ頂いて自分の所のが幾日か遅れたおかげで、云わば十万円しとったのが三十五万円になった。まあ云うならば村一ばん、村の人達がたまがるような高値でしかも二反ものを全部話が出来た。おかげ頂いたとこう言うのです。だからおかげを頂いた所だけを言わずにね、そういう節の所を大切にする。それをたった一言、神様の御都合ぞと、それもまちっと云うならこれはまあだ信心が足りんからというふうに頂けば、そこから又元気な信心が出けるですよね。兎に角神様の御都合だとそれを頂ける信心、ね。お互い合楽理念を以てすれば、それこそ又売れた又売れたといや信心のない所よりもかえって安く売れなかったり、又は安かったと云ったような時もあるかもしれませんけれども、そこん所を日頃の信心によっておかげを頂き、云うならばどこまでもそれだからというて自分の生き方というものは、どこまでも他が十銭で売るものは八銭で売る、もう本当に私は今度京都へむつやが参ります時に申しましたが、仕入れに行くのですから、買場、云うならば仕入れの先を大事にせねばいかんばい。安うさえありゃよいという事じゃない。もう値切るとかたたくというふうに申しますけれども、それは決してまあ向こうが言いなりでという事じゃないけれども、兎に角向こうも卸して下さる所も助かる。これはあの文雄先生の場合なんか私は、向こうの卸元から聞かれて、どこのでんなかもんば売る時にゃ福岡のうめや支店に送ってやれと云うそうです。もうどこにもない、これいっちょしかないちゅう時にゃいわゆる文雄さん所に送ってくるというようにね。神様からの云うなら、卸元からの信用を受けておるからです。云うなら卸元を大切にするからです。だからそこんところを、そろばんばっかり取るのじゃなくて、いわゆる合楽理念を以てするならば絶対繁昌です。もう絶対繁昌ですよ、ね。よそよりも二銭安う売るでしょう。売場買場を大切にするでしょう。そしてなら人間の体はちびるのんじゃないから一生懸命働く。これだけの条件が揃うたら絶対繁昌ですね。だから繁昌だけではいけんからお徳を受けねばいけないからね。その根底になるものは日参、教聴、心行、家業の行だ。そしていわゆる合楽理念を以てするならば繁昌、そしてお徳を受けていく事も間違いないという事になるのですよね。
どうぞ。